8年前の紅梅
これ以上大きくなっちゃってね、
剪定(自己流)したから
今は随分小さいのよ
これを撮った時の自分、
その頃の気持ち、
少し覚えています
*
ひとつの出来事があったら
その出来事には一見、
「いいこと」
(出会い、成功、健康、思い通りなど)
「悪いこと」
(別れ、失敗、病気、予想外など)
の区別があるように思っちゃうけど
本当はどんな出来事にも
さまざまな側面があって、
一概に「いい出来事」「悪い出来事」と
区別できるものではないと思います
それに加えて
どんな出来事も「いいこと」として受け取る、
どんな出来事も「悪いこと」として受け取る、
など、
出来事の受け取り方には
個性というか。
その人の習慣、クセ、があると思います。
自分の性質的なものや
(基本的にポジティブかネガティブか)
過去の経験などによって決まるのかな、
とにかく
物事の受け取り方には
その人の個性が出ると思います
例えば私は
なんでも深刻に
心配多めに
ネガティブに受け取る傾向があるみたい
自分を悲劇のヒロインに仕立ててしまうというか
そんな自分でもいいのですよ、
そうでもしないと
その時々、
乗り越えて来られなかったのだと思います
でもいつまでもそのままじゃあ、
何があっても
同じことの繰り返しだと
気が付いています
どんな楽しい出来事があっても
そこから「心配」を受け取るなんて
もったいない
いつまでも「不幸」
物事の受け取り方を
それまでの習慣通りにしていたら
私はいつまでたっても幸せになれないのでは?
と、気付きました
楽しいことをする、
好きな人に会いに行く、
おしゃべりをする、
自分を癒す、
無理をしない、
休養する、
など
自分の現実は本当にいい感じなの
私、
もっともっと幸せになるわ
「幸せ」を選びましょう
「幸せ」って、
強い意志をもって
自分で選ぶものなのかもしれませんね
出来事の方もだけど、
心の面でも、
選んでいくものなのかもしれません
だれ~?
白馬に乗った王子さまが
幸せにしてくれる
とかなんとか言った人
普通に信じてたわ~(´・∀・)
✧︎
「幸せ」を選ぼう
✧︎
選ぶのは自分
出来事も
心も
それを『愛由来に生きる』
というのではないかしら
『阿弥陀さまの鏡』
も、そういうことだと思ってる
では、今日はここまで。
また書きますね~
(*ᴗˬᴗ)人~
✧︎
slow wave
ゆっくり、ゆっくり、波に揺られながら ここに辿り着いた 命INOCHI と 光HIKARI 溢れる日々に感謝 ✧︎ この世の安心に身を委ねよう 愛由来に生きる 南無阿弥陀仏 ✧︎
0コメント