楽しみは自分の中にあります

トウモロコシのスープ
冷製

とても美味しかったです






優波 真理子です


お寺に暮らし
エネルギー哲学®をお伝えしています






突然ですが
質問させてください。


ずっと楽しみにしていたことがあったとします
予定通りに楽しく過ごせたとします

聞きたいのは、その後のこと。


楽しいことの後、
あなたはどんな気持ちになることが多いですか?







私の経験を書かせてください。




例えば
中学三年生の時の修学旅行



ずっと楽しみにしていました。
初めての広島、京都、大阪、
友達との2泊3日



行ってきました。
修学旅行は終わりました。


はあ楽しかった〜


と同時に
終わったことが寂しくて悲しくて



数日間はその旅のことばかり思い出していました


出発式から
最後の帰校式までの覚えている全てを

繰り返し繰り返し
“脳内再生” させていました


お宿や食事、
友達との会話やダジャレ、
観光した場所の全て、空気感、
ちょっとした待ち時間のことさえ。



思い出に浸る
と言えば美しいでしょうか?

未練がましいなあーと
我ながらうっすら思うことでもありました。






もっと小さな子どもの頃の思い出です
(4歳くらい)



棒の付いたアイスクリームを食べた後
アイスはもうなくなったのに
ずーーーーーっと棒を舐めていました


棒はふやけるし
木の繊維が口に入ってきました


それでも舐め続けました


アイスクリームが終わってほしくなかった
アイスクリームがなくなって悲しかった
いつまでもあってほしかった
未練

異様に悲しい気持ち


最後には不味くなるのに
どうしてもやめられない不思議さ



母親の制止の声、
自分なりに違和感も感じていました







まだ思い出しました

🏫
小学校の卒業式
その日の夜のことです。


『終わり』が悲しすぎて
一晩中泣いていました
次の朝、目が腫れていました

この時初めて感じた
諦めきれなくて、なんとも切なくて、
悲しすぎる、、そんな感情は

忘れられませんね




🏫
ちなみに中学校の卒業式は
やはり『終わり』が名残惜しすぎて。
でもヤンチャで、たくましさのある年代です、
さすが!
前の晩、友達の家に6人集まり、
徹夜で過ごしました
一体のマスコットを
6人交代で作り上げたりと
意味があるようなないようなハチャメチャな一晩

それはもう楽しくて。
時よ永遠にー
って思ったなーーーーー

当日、そのままのテンションで卒業式
そして門送りまで
ワイワイガヤガヤと

でもその年の春休みは
いつまでも浮かない気持ちでした。









楽しいことが終わってしまうことに対する
悲しさや未練のような感覚は
今も残っていましてね、



楽しいことがあった
その日の夜は眠りたくない、
眠れないのです。



寝るのがもったいない。






アイスクリームの時のように
いつまでも味わっていたいし

修学旅行の時のように
何度も思い出したいし

卒業式の時のように
次の日になってほしくない






その出来事は終わっているのに

『終わり』だなんて、
イヤだ!寂しい!
ーーと、駄々っ子の私が駄々をこねるんです









楽しかったことがあると

その楽しかった気持ちよりも
『終わった』という気持ちの方が強くなります。



例えばアイスクリームは
その当時は本当に貴重だった。

滅多に食べられなかったし
一日に一個しか食べたらダメって決まっていた。

私にとって貴重でした。

目の前のそれが『終わる』ということは
次はもうない、
次までにたくさん待たなくては、
ということを意味していました。




でも当然分かると思うけれど
その4歳くらいの当時から今まで、
アイスクリームをいやというほど食べています笑
アイスクリームはこの世にまだまだたくさんある
アイスクリームは終わってない


何回もの『次』があったわけです



(大人になり、自由にアイスクリームを食べている自分に気が付いて感動的な気持ちになったことはあります笑)







となると、
楽しかったことについても

『終わった』けれど
『また次』がある、ということが言えます




あれ、
今日私は何を書いているんだろ?

アイスクリームの棒を舐め続けた話を
もっともらしく
何やら意味ありげに書いてますか?( ˊᵕˋ*)





いいえ笑


このアイスクリームの問題は


私にとって
結構重要なことを含んでいるのではないか
と、実は最近よく思い出していたんです。



急を要しないし
それほど深刻に思えない、

でも
自分なりに納得したい、解決したい、


今の自分にとって
大切で必要なことが含まれている、

そんな気がしていました。











よかったー

すっきりしました〜

はあー








『楽しいこと』が怖かった

『終わる』ことが怖かった

楽しいの後の
『悲しい』を味わいたくなかった



それは『次がない』と思っていたから

もしくは
『次がある』かどうかは
誰かに委ねられていたから




自分の人生を自分で歩んでいる今、

→楽しいことは終わらない
→楽しかったことは終わる

この両方を同時に言えます




終わらないも終わるも、
それは自分が決めること



求め続ければ終わらない
自分に必要なら終わらない

終わるのは
自分に必要がなくなった時。



自分の選択は
自分の中にあります。







はあ〜
金沢の街を一望♥



アイスクリーム、
修学旅行、
卒業式の思い出は

自分の人生が
別の誰かの手の中にあった頃の話なんだ(^^)





自分の人生の楽しみや喜びは

自分で選択していけます




✧︎


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