フルーツのジュレ
🍨
法要後
家族だけでの慰労
最後のメニュー
✲゚.*
優波 真理子です
遡ること56年前
頼る親や親戚がいない中、
文字通りゼロから家庭を築いた私の両親
両親には
ありがとう、と
感謝の気持ちでいっぱいです
✲゚.*
✲゚.*
✲゚.*
ずっと素直になれなくて苦しかったです
母にはいつも怒っていました
目の前に母がいなくても
怒っていました
してくれなかったことを恨み、
冴えなくてみっともないことを
恥ずかしく思っていました
✲゚.*
随分と時間がかかったけれど
母のどんな言葉や姿にも
ちくんとしなくなりました
母を
真正面から見ることができるようになりました
✲゚.*
母ほど私を心配してくれる存在はありません
それは分かっていました
でも
その“心配”が本当に嫌だったのです
とうとう、ある時、
‘’関係改善”することを心の底から諦めました
距離を置き、時間を置き、
自分を母から遠ざけることをしました
そして
自分のことに集中し
目の前の豊かさを受け取り
近くの人に素直に接する
というようなことを
自分のペースで
自分のペースで
やっていました
いつの間にか、
いつの間にか、
自分が整い
癒され
、
、
、
そうなるうちに
母親に対する
私の感じ方が変わっていったようです
変えようとしたのではなく
自然に変わっていきました
変えようとしていた時は苦しかった
結果的に
少しずつ変わっていっていました
🚗 𓂃 𓈒𓏸
距離にして車でおよそ1時間
離れることを自分に許していたので
頻繁には会いませんでした
それでも用事など
実家に行くことは時々あり、
その時には母とも顔を合わせます
そんな折に
少しずつ、変化は自覚していました
そして、
先日実家に立ち寄った際
自分の変化を確信しました
私は
母の言葉を素直にそのまま聞き、
どんな様子も
真っ直ぐ見ることができていました
母に対する鎧は着ておらず、
纏っているのは羽衣笑
✲゚.*
母の全ての言葉や様子は
私への思いやり、私への愛情でした
うすうす気が付いていた通りでした
そしてその思いやりや愛情が
何とも心地よく、ありがたく、、
母のベッドの上に寝転び
深く寝落ちしていました
✲゚.*
私が帰る時には
いつも、
いつまでも見送る母なんです
何度も断ったのに
止めない笑
もう
どっちでもいいけどね
( ◜ᴗ◝)
私を撮る
母の目線を感じる写真
パチ /■\ (╹◡*)
✧︎
slow wave
ゆっくり、ゆっくり、波に揺られながら ここに辿り着いた 命INOCHI と 光HIKARI 溢れる日々に感謝 ✧︎ この世の安心に身を委ねよう 愛由来に生きる 南無阿弥陀仏 ✧︎
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