掃除も愛由来で

こんごうえ
(魂供会)

毎年7/31

今年も
準備が整いました






優波 真理子です

お寺に暮らしています







お寺に対するイメージ、
それぞれ違うとは思いますが


今日は聞いてみたい気がします



あなたはお寺に対して
どのようなイメージをおもちですか。




・神聖な場所
・心安らぐ場所
・涼しい場所
・綺麗で整った場所
、、、
などでしょうか?








私は、ですが

嫁ぐ前までの育ちや環境の中で
お寺との接点がなかったものですから
そもそもお寺を知りませんでした

なので
お寺に対するイメージはゼロでした








ゼロのままお寺で暮らすようになり
私にとってお寺とは、


未知の連続、
驚きや戸惑いの連続でした。

それはいい意味ではなく、
悪い方の意味においてです。




本来外側から見て
もつはずだったイメージをもたないまま
内側の人間だけが知る
マイナスばかりを感じていきました。


悪いイメージさえ、もしももっていれば
‘’覚悟”のようなものを
もてていたかもしれません








その‘’マイナス”のひとつである、
例えば『掃除が大変』ということについて




今日は
その掃除について書きたいと思います。










年に何度かある、お寺の行事

お寺の掃除が大変なのは、
その行事を迎える時です。



法要を勤めてくださるお坊さま方、
お参りのご門徒さま方、
お手伝いの方々、
が詰めかけてくださいますので、


本堂はもちろんのこと
奥座敷から下流しに至る
お寺の全てを当日までに掃除します。



窓という窓、
廊下という廊下、
座敷という座敷、
トイレというトイレ、、、

玄関も複数あります

お斎(おとき)といって
弁当形式の食事を作って出していたので
その作業をする下流しの掃除は
一層気を使いました




教師の仕事や、子育てと同時並行でした

年に何度かだけとはいえ
私にとっては大変なことでした


お寺の掃除🟰本当に本当に大変

(トラウマレベル)


そのように感じるようになってしまったのは、
ある意味当然といってもいい、、
かもしれません





20数年間やってきた
私の掃除は、


行事のため
お坊さま方のため
ご門徒さまの方のため
お手伝いの方々のため






でも逆を言えば、
行事のない普段の日々においては
全くやる気が出ない
ということが多かったのです










今私は、
掃除を愛由来でやっています


自然とそうなりました




例えば、

✧︎
廊下を歩く私の足が気持ちいいために、
床を拭きます

✧︎
差し込める光がキラキラと輝いて私の目に入るために、窓を磨きます

✧︎
お参りの方をお迎えするためだけど
それ以上に私の気持ちが清々しくなるために、
本堂の掃除機をかけます



そういう掃除は
やればやるほど自分を幸せにしてくれます。

1度にたくさんの箇所をできなくても、
やれたことに充実感があります。

行事があってもなくても関係がありません。

普段からこまめに掃除をするようになります。

気が付いたらすぐ身体が動きます。






これまでの掃除は
つまり不安由来だったと言えるのでしょうね


なるほど不安由来でやる掃除だったから、
それはそれは‘’大変”だったはずです。

人のため、行事のため、体裁のためでした。

やってもやっても足りない気がしたはずです。









愛由来の掃除は
楽しくて仕方がありません


密かに大きな目標もできました

その目標が完了するまでには果てしないけれど
やりたいのです







✧︎



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ゆっくり、ゆっくり、波に揺られながら ここに辿り着いた 命INOCHI と 光HIKARI 溢れる日々に感謝 ✧︎ この世の安心に身を委ねよう 愛由来に生きる 南無阿弥陀仏 ✧︎