お寺と共に

私の名前は
釋 覚浄(しゃく かくじょう)



得度(とくど)をし、
僧侶の資格を取得した2017年に
この名前をいただきました













え、っ、、、、、とお、、、




この名前が、、、、ね、





\使え/





と訴えてくるんです






いえ、



\使ってぇ〜/



かな








ん〜
まだ、ちょっと違う



\私、ココにいるよお〜/
\もう、出して〜/



っていう感じかな






名前が存在を主張してきて‪
(んもう〜笑)




あ、そっかと思い出したら

こんなにも
胸がキュンとして熱い





私はこの名前を使いたかったのかな


仏教がこんなに大切になっていたなんて















💭

お寺に違和感を感じてきた
お寺の人間であることの実感が
なかなか湧かなかった

(坊守ですけれど、)




そして仏教は


人気がなく
時代遅れで
華やかでなく、、、

カッコ悪い
陰気、、、

忌み嫌われている、、、








みんなどうせ
そう思ってるでしょ、
だったら私も同じよ、
と予防線を張るような気持ち



“みんなが好き” なものに
同調もして、、






本当はもうずいぶん前から
お寺が大切で
私の中に『仏心』も育っていた


浄土真宗の教えや
阿弥陀様の慈悲を感じている


本当は人にもそう思ってもらいたい






だけど
堂々とは見せられなかった
隠していた
逆の態度をとっていた


これ、いいよ〜
って伝えられなかった





認めたら
はい、仲間はずれ決定!ってぐらい
怖いことになる、
それ絶対イヤなこと、、、















エネルギー哲学との出会い✧︎






須王フローラさんが視えている、
視えない世界のことを知る機会を得た






細かいことはすっかり抜けているけど
(ノートの見返しが楽しみ)





一部分は全体であり
全体は一部分であること

や、

宗教上のキャラクター


などの
お話や言葉には
魂が震えた

ある意味ずっこけもした







そこらへんから



強ばりが取れていき



仏教も“他”も
本当は同じなのだなあ



ほどけるような気持ちになった

(ほどける、、、ほとけ、、似てる😁)




大袈裟でなく
命が助かったような気持ちになった








✧︎
知ることは
優しくて強くて明るくて楽しい
✧︎





その7期が終了したタイミングで
かつていただいた名前を思い出した




名前の方から
私に語りかけてきたという感覚だけどね





\ココから出して/
\外に出たいわー/













さて、



世界は繋がっている、
根っこは同じ、


ふむふむ
『同じ』ならば
『違い』があっていい



矛盾するようだけど
視る方向が違うだけということだから
矛盾はない



ふむふむ



『同じ』が分かったら
『違い』も大丈夫



“みんなと違う” と恐れなくていい
むしろ積極的に、違っていいのだ。。。





私の『仏心』を
安心して出していい




むしろ出したい





あるのだから
抑える方が不自然というもの






みんなと違っているかどうかではなく
私の中にあるかどうか




それだけが大切





安心しよう



自分の中に問うていこう





仏教が大切
お寺が大切



安心してそう思い
素直に出しながら
生きていこう








✧︎

改めまして
私の名前は
釋 覚浄(しゃく かくじょう)



『覚』の字から

✧︎
浄土に目覚めている
仏道に目覚めている
仏の知恵に目覚めている
慈悲に気付いている
✧︎

そんな意味合いを感じています





今の私にぐっときます




✧︎
目覚め
✧︎


























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ゆっくり、ゆっくり、波に揺られながら ここに辿り着いた 命INOCHI と 光HIKARI 溢れる日々に感謝 ✧︎ この世の安心に身を委ねよう 愛由来に生きる 南無阿弥陀仏 ✧︎