なんていう植物なのかな~
形はゲジゲジみたい
色がとっても好き❤
*
こんにちは~
優波 真理子です
放課後児童クラブのお手伝いもしています
先日は
ドッヂボールに誘われ
断りきれず中に入りました。
んんんー?
集中的に狙われた気がした😆
子どもたちの素直な楽しみぶりが可愛くて
私も楽しかったです。
*
ところで今日は、
目の前で子どもが転んだら
について考えたいと思います
子どもが転んだら。
ましてや自分の目の前で転んだら。
ほとんどの大人は、
助けようとするでしょう。
助けるでしょう。
転び方にもよるけれども
「あっ!」
とか
「だいじょうぶーーー?!」
などの声掛けもするでしょう。
考える前に、
反射的にそうなりますよね。
私はそれを
意図的に我慢するようにしています。
もちろん見極めがとても大事です。
緊急を要するか、
怪我をしたかしていないか、
怪我の具合はどの程度か、
他に関わる相手がいるか、
などの
状況把握は絶対です
今回は
ライトな状況であることを前提に
話を進めますね
どうですかね、
転んだ=ハプニング
にしてしまうことはないでしょうか。
実は
大人の対応で
転んだ=ハプニング
になってしまうことがあります。
「あっ!」
「だいじょうぶーーー?」
などの
大人の言葉がきっかけとなって
その子がうわあんと泣いてしまったり
周りの子までもが反応してしまって
騒ぎになったりすること、
無きにしも非ずではないでしょうか
*
先日、
私の目の前で1人の女の子が
ベッターーーーーン!
と転んだのです。
私は(あっ)と思ってその子を見ましたが
即、状況はライトと判断し
気持ちを切り替えました
意図的にその子と目を合わせないようにし、
見てないふりをしました
その子は一瞬私を見ましたが、
(私は平然を装っている)
そのまま立ち上がって、
行くつもりだった方へいきました
(でも痛かったでしょうね)
(よしよしなどの声をかけたかったわ~)
この出来事、
何事もなかったように終わりました。
そうです
転んだ、ただそれだけでした
この時のように
転んだ、ただそれだけ
の場合には、
「可哀想」
「大変」
「恥ずかしい」
などの価値観をくっつけたくないのです
転んだこと
=
可哀想、大変、恥ずかしい、
ではないということです
可哀想、大変、恥ずかしい、
ことにしてしまうのは
案外大人です
その時の大人の反応によることが多いかもしれません
*
もちろん、
しばらくその子の様子は気を付けて見ています
さりげなくね
ちょっと時間を置いてから
「大丈夫だった?まだ痛いところはない?」
などの声をかけます
ケースバイケースです☺
💭
子どもが自分で立ち上がれる時は
大人がその手柄を横取りしてはダメよね
slow wave
ゆっくり、ゆっくり、波に揺られながら ここに辿り着いた 命INOCHI と 光HIKARI 溢れる日々に感謝 ✧︎ この世の安心に身を委ねよう 愛由来に生きる 南無阿弥陀仏 ✧︎
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