目の前で子どもが転んだら

なんていう植物なのかな~

形はゲジゲジみたい
色がとっても好き❤





こんにちは~
優波 真理子です



放課後児童クラブのお手伝いもしています

先日は
ドッヂボールに誘われ
断りきれず中に入りました。

んんんー?
集中的に狙われた気がした😆

子どもたちの素直な楽しみぶりが可愛くて
私も楽しかったです。









ところで今日は、

目の前で子どもが転んだら
について考えたいと思います


子どもが転んだら。
ましてや自分の目の前で転んだら。

ほとんどの大人は、
助けようとするでしょう。

助けるでしょう。




転び方にもよるけれども
「あっ!」
とか
「だいじょうぶーーー?!」
などの声掛けもするでしょう。
考える前に、
反射的にそうなりますよね。



私はそれを
意図的に我慢するようにしています。


もちろん見極めがとても大事です。
緊急を要するか、
怪我をしたかしていないか、
怪我の具合はどの程度か、
他に関わる相手がいるか、
などの
状況把握は絶対です


今回は
ライトな状況であることを前提に
話を進めますね



どうですかね、

転んだ=ハプニング
にしてしまうことはないでしょうか。


実は
大人の対応で
転んだ=ハプニング
になってしまうことがあります。


「あっ!」
「だいじょうぶーーー?」
などの
大人の言葉がきっかけとなって


その子がうわあんと泣いてしまったり
周りの子までもが反応してしまって
騒ぎになったりすること、


無きにしも非ずではないでしょうか





先日、

私の目の前で1人の女の子が
ベッターーーーーン!
と転んだのです。


私は(あっ)と思ってその子を見ましたが
即、状況はライトと判断し
気持ちを切り替えました

意図的にその子と目を合わせないようにし、
見てないふりをしました



その子は一瞬私を見ましたが、
(私は平然を装っている)
そのまま立ち上がって、
行くつもりだった方へいきました


(でも痛かったでしょうね)
(よしよしなどの声をかけたかったわ~)


この出来事、
何事もなかったように終わりました。

そうです
転んだ、ただそれだけでした

この時のように
転んだ、ただそれだけ
の場合には、

「可哀想」
「大変」
「恥ずかしい」
などの価値観をくっつけたくないのです


転んだこと
=
可哀想、大変、恥ずかしい、
ではないということです

可哀想、大変、恥ずかしい、
ことにしてしまうのは
案外大人です
その時の大人の反応によることが多いかもしれません









もちろん、
しばらくその子の様子は気を付けて見ています
さりげなくね



ちょっと時間を置いてから
「大丈夫だった?まだ痛いところはない?」
などの声をかけます


ケースバイケースです☺






💭

子どもが自分で立ち上がれる時は
大人がその手柄を横取りしてはダメよね



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